第434号
−− こころ優しきヨーロッパ人たち(5)
海外研修出張報告記−− 2010.06.30
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−− こころ優しきヨーロッパ人たち(5)
海外研修出張報告記 −−
(前号からの続き)
3月7日から3月12日まで、ハッカライネン氏とのインタービューや、情報処理学
会・言語処理学会合同年会参加のため東京に出張しましたが、その間にも、3月13日
から出張する予定先のヨーロッパの人々とメールで連絡を取り合っていました。学会会
場の東京大学の控え室には、さすがに学会の性格を反映して、とても使いやすい無線LAN
の臨時システムが設置してあったので、自由に電子メールを交換し合うことができまし
た。
3月12日に福岡に帰ってきて、帰宅する途中で天神の携帯電話ショップに寄って、
海外で使える携帯電話器をレンタルしました。私は、もう海外に行くことなど一生ある
まい、と思っていたので、普段持っているのは国内専用の安い機種で、国内通話機能し
か付いていません。そこで、2週間限定のヨーロッパ用に設定した機種を借りたわけで
す。これは、現地でたいへん重宝しました。
3月13日の午前中に歯医者さんに治療を受けに行って、午後から出発しました。フ
ライトのスケジュールがあまりうまく組めなくて、初日は成田で1泊するはめになって、
3月14日の早朝に成田からいよいよヨーロッパに向けて飛び立ちました。ロンドンの
ヒースロー空港で乗り継ぎをして、最初の訪問国フランスのシャルル・ドゴール空港に
到着したのは3月14日の夜でした。シャトルバスに乗って、パリ中心部のリヨン駅に
行きました。空港でバスの乗り場を教えてくれた案内嬢も、私の大きな海外旅行用のト
ランクをシャトルバスのトランクから出し入れしてくれた運転手さんも、とても愛想が
良くて親切で、「あれえ? フランスの労働者って、昔は無愛想で不親切だったような
気がするんだけどなあ」と、少し驚きました。あるいは、私が昔と違って見るからに老
人になっているので、敬老精神を発揮してくれたのかもしれません。日本と違って、
ヨーロッパの人々は、老人や妊産婦や身体に障害のある人に対しては、席を譲ったり手
助けをしたりすることを幼い頃から厳しく躾(しつけ)られています。
さあて、リヨン駅のバスターミナルで下車して、目的のホテルを探さなければなりま
せん。「分からなければ、通行人か付近の店の人に尋ねればいいさ」と考えていました
が、夜だったにも拘わらず、案外簡単にホテルのある通りのネームプレートが見つかっ
たので、通りに沿って歩いて行くと、じきに目指すホテルに着きました。
「ボンソワール!」とホテルのレセプションに行くと、いかにも草食系のやさしそう
な青年が夜勤で受付係をやっていました。「私は一泊を予約しているジャポネのムッ
シュー・シバタです。」と言うと、彼はチャカチャカとキーボートをたたいて、「はい、
承っております。この紙に必要事項をご記入願います。」と用紙を差し出しました。
「これがお部屋のキーで、こちらがご朝食券です。」と、すらすら進み、「それでは、
クレジット・カードをお預かり致します。」と突然言い出すので、私は虚を突かれて、
「えっ?」と言ったきり、二の句が継げません。
「そっ、そんなの聞いてないよ。」と言うわけです。「私は全ての支払いは日本で前
払いしてきたので、このホテルではいっさいこれ以上の出費をする積もりはありません。
だからクレジット・カードは預ける必要は無いんじゃないの?」と質問すると、彼はい
かにも優しそうな微笑みを浮かべて、「お部屋の冷蔵庫には冷やしたお飲物が入ってい
まして、それらは有料で、前払い金には含まれていないのですが、前払いされたお客様
がこれも含めて前払いしてあると勘違いされる事があります。そういうような事がいろ
いろ起きているものですから、念のためにクレジット・カードを預からせて頂く規定に
なっています。チェックアウトの際に、必要があれば精算を行った上でお返しします。
クレジット・カードを預けて頂かないと、お泊めできない規定になっております。」と
言うのです。
「それは困ったなあ。日本では、ヨーロッパと違って、何でもクレジット・カードで
決済するようにはなっていないので、私はクレジット・カードを持って旅行をする習慣
は無いのです。それでは、こうしましょう。例えば、50ユーロを私があなたに明朝ま
で預けますから、預かり証を書いてください。明日のチェックアウトの時に、私の50
ユーロとあなたの書いた預かり証を交換する事にしましょう。これなら、あなたの方も、
食い逃げ、飲み逃げされる心配が無いから好いんじゃない?」と提案したところ、好青
年はニコニコ優しい微笑みを浮かべ続けたまま、「分かりました。あなたはたいへん誠
実なお方のようですから、クレジット・カードの件は、もう結構です。今夜はごゆっく
りおやすみ下さい。」という回答をしました。うーん、君は若いのに、なかなか人間が
出来ているねえ。接客商売はお客様が第一。とっさの判断で、規則をまげて、お客様を
信用して、気持ちよく譲ったところは大したものだ。そこで、私はたいへんに気を好く
して、ヨーロッパの第1夜を眠る事が出来ました。しかし、その後、ヨーロッパの各都
市を移動するたびに、ホテルに着くやいなや、このクレジット・カードのトラブルに巻
き込まれる事になるのでした。
翌朝、リヨン駅からフランス新幹線(TGV)に乗って、最初の目的地であるマルセーユ
に向かいました。切符は日本で既に、2週間有効のユーロ・トレイン割引券を前払い購
入してありますが、駅の受付で利用開始日の記入をして貰わなければなりません。リヨ
ン駅で少し並んで待たされましたが、手続き自体は何の問題も無く、あっという間に終
わりました。
この前の週、ヨーロッパは大雪で、私の2番目の訪問予定先であるグルノーブルの近
くの国道では、雪に閉じこめられたドライバーたちが、延々とマイカーの列を作って一
夜を過ごす光景がテレビ放映されたりしていました。そうとうの雪や寒さを覚悟して
ヨーロッパにやって来たわけですが、車窓から見る光景は想像していたものとはまるで
正反対でした。特に、マルセーユに近づくに連れて、南国の太陽がギラギラと輝き、サ
ングラスをかけた人々の姿が目立つようになりました。服装も半袖の夏服です。
やがて列車はマルセーユに着いて、どっと大勢の乗客が下車しました。私もその一員
となって、大集団がぞろぞろとプラットフォームに沿って駅のエントランス広場の方へ
歩いてゆきます。エントランス広場に来ると、そこかしこで、「やあ、やあ」と出迎え
の人と到着した人が再開をよろこびあって抱き合ったり握手をしたりした後、駅の外へ
消えてゆきます。そういう光景が一頻り続いた後、潮が引くようにさーっと人影が見え
なくなりました。後には、私がたった1人でぽつねんと残されています。「あれえ?
出迎えに来てくれるはずのボダン先生はどうしたんだろう?」
私は、こんな事が起きるとは夢にも予想せず、到着した直後に「やあ、やあ」とボダ
ン教授が声を掛けてくるものと決め込んでいました。事前にお互いにメールを交換して
予定を確認して、お互いの「写メール」も交換して、顔写真を交換してありますから、
一目見れば分かる、という状態になっているはずだったので、すっかり安心しきってい
ました。そこで、はたと気が付いたのですが、東京への出張の翌日にとんぼ返りでヨー
ロッパ出張に旅立ったというあわただしい取り組みだったので、せっかくボダンさんが
メールで送ってくれた「高等数学研究所(たぶん、そんなような名前だったのですが、
正確には、よく覚えていません)」の住所、電話番号や、万一の事をおもんぱかったボ
ダン氏が自分の携帯の番号まで知らせてくれていたのですが、すべて、メモする事を忘
れて来てしまったので、連絡の取りようがありません。
次のTGVが列車のホームに到着しました。どーっと降車した乗客の一団がエントランス
広場に入ってきて、「やあ、やあ」という出迎えの人たちとの交歓があって、やがてま
た、潮が引くように辺りは私1人になりました。
そういう潮の満ち干のような事が数回繰り返されると、私はパニックに陥りました。
「タクシーをつかまえて、高等数学研究所とか何とか、そんなような名前の研究所に行っ
てくれ」と言ったとして通じるだろうか? せめて宿泊先の研究所の名前くらいしっかり
記憶しておくべきだったと後悔しました。エントランス広場の周辺を一回りして見まし
たが、観光案内所の様なものは見つかりませんでした。マルセーユのような大きな都市
の駅に案内所が無いはずは無いのですが、私がパニックになっているために、奥の方に
引っ込んでいる案内所の看板を見落としたのかも知れません。「うーん、困った、困っ
た。警察に行って相談しても埒があかないだろうなあ。」
あとで日本に帰国してから思いついたのですが、長時間待っても約束の相手が現れな
い場合には、マルセーユ大学に行って、数学科を探して、そこにいる人に事情を話せば、
目的地はすぐ分かるはずだし、電話連絡もしてもらえるはずだから、そんなにあわてる
事もなかったのだと思いますが、心の準備が無かったために、どうしたらよいのか、判
断がつかなくなってしまいました。
そんなところへ、「やあ、やあ。たいへん遅くなってしまい、申しわけありません。」
と写メールで見たボダン先生が現れました。「ぎりぎりの時間まで会議に出ていて、急
いでここに駆けつけようとしたら、いつもの道が道路工事をしていて、たいへんな迂回
路を通らされてしまいましてね。おまけに、同様の事情のドライバーが多かったと見え
て、迂回した道がまたすごい混雑の渋滞で、たいへんお待たせする事になってしまって、
本当に申しわけありませんでした」と言う事で、私はもう、「地獄で仏に出会った」よ
うな気持ちになって、「いえ、いえ、本来ならば、私が自分でタクシーに乗って会場ま
で行かなければならないはずの所を、大事な会議を抜け出してまで迎えに来て頂いて、
本当に恐縮しています。」と本心から応えました。
それから、のろのろと渋滞の道をボダン氏の車で山の上の会議場に向かいました。
「あなたから送ってもらったPISA街灯問題の論文のPDFを何人かの友人にコピーして
送ったら、みんな興味を示していましたよ。またPISAの faux concret の実例が追加さ
れたな、という人もいました。」とボダン氏が言ったので、「 faux concret? それは
どういう意味ですか?」と私が質問しました。彼の解説によると、フランスでは、多く
の数学教育研究者がPISAの売りである「現実社会に根ざした教材」を「faux concret
(偽りの具体性、偽の現実)」と批判しているのだそうです。一見、現実の社会から
取ってきた問題のように見えるけれど、ちょっと吟味してみると、それは現実ではなく、
問題の為に作り出された偽の現実である事が分かり、社会に出てからPISAの模範解答を
機械的に実行したらとんでもないことになる、というような批判のようです。「面白い
表現を聞きました。日本に帰ったら、皆さんに紹介しておきますよ。」と言っておきま
した。
また、ボダン氏が会話の合間にふと、「あなたはフランス数学会の Bulletin やパリ
科学アカデミーの Comptes Rendues にも論文を発表しているのですね。」と言ったので、
「ええ、若い頃はパリに住んでいたものですから..。」と答えました。申し込み期限
の過ぎた全国会議に飛び込みで見ず知らずの日本人がやって来たのを歓迎してくれたの
は、単にボダン教授が物好きだった分けではなく、ちゃんと私の過去の業績調査なども
した上での事なのだ、と分かって逆に安心しました。「それが、どうして数学教育の研
究に取り組むようになったのですか?」と質問されたので、2007年のPISAの結果の
報道を見て以来、PISAの調査をやって来たいきさつをお話ししました。ボダン氏は、私
の話にたいへん興味を持ってくれたようでした。
(続く)
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