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言問い亭 7月号 (2010年)


 言問い亭7月号 小目次 

  •  第435号 −− 朝日新聞読書欄担当者の無知には呆れた −−
                    私の「情報科教育法」の授業(その2)−−
    2010.07.31





  •   第435号
    −− 朝日新聞読書欄担当者の無知には呆れた
    私の「情報科教育法」の授業(その2)−−
    2010.07.31

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     −− 朝日新聞読書欄担当者の無知には呆れた             私の「情報科教育法」の授業(その2)−−−  日本の日刊新聞は毎週日曜日には「読書」欄を設けて、いろいろな書籍の紹介、解説 を載せている社が多いようです。私は毎日曜日には、それを楽しく読ませてもらってい ますが、今年4月25日の朝日新聞の読書欄の最後のページ「ゼロ年代の50冊」には 呆れました。 <朝日新聞 14面の引用開始>  『磁力と重力の発見』山本義隆著。みすず書房、2003年刊。... 近代物理学成立の鍵となった<力>の概念がどう成立してきたのかを追跡。近代科学は 魔術、錬金術など「非科学的なるもの」の嫡子であることが明らかになる。 <引用、いったん中断>  まあ、それは明らかになるでしょうねえ。そんなことは数十年前から、いや、おそら く百年以上前から明らかになっていましたから、「それがやっぱり正しかった」という ことを再確認した、ということなんでしょうか? いや、どうも編集者はそのようには 考えていないようです。 <引用再開> <遠隔力>に着目する大きな歴史観  ... いまや全世界が包み込まれている世界認識の枠組み。それが近代西洋に生まれた 自然科学だ。その思考の枠組みはどう成立したか−−。磁力と重力という<遠隔力>に 着目、発見過程を歴史的に追跡した。圧巻は中世、ルネサンス期への言及。 「ガリレオ、コペルニクスの時代になって、ものの見方がガラリと変わった−−。そう いう歴史の見方はナンセンス。歴史を大きく見ると、過去と現在がつながるということ を論証している」(高校時代に予備校で山本義隆氏の授業を受けていたという評論家の 山形浩生さん) ... 社会学者の大澤真幸氏「西洋においてさえも、自然科学史といえば大抵、古代ギリシャ・ ローマから始めて、その後、中世とルネサンスの1千年間をほとんどすっ飛ばして、い きなり近代を論ずる。しかし本書は、中世・ルネサンスと近代科学との連続性と断絶性 をたんねんにたどって、国際的な水準にある」 <引用おわり>  おい、おい。「社会学者の大澤真幸氏」とやら、冗談きついぜ。「西洋において、自 然科学史で古代ギリシャ・ローマから始めて、その後、中世とルネサンスの1千年間を ほとんどすっ飛ばして、いきなり近代を論ずる」ような科学史の解説書が1冊でもあれ ば、その著者名と書名を挙げて見せてよ。「日本においてすら」、「○○○」ブックス とか「×××学術文庫」のような大衆向け新書版の科学史の解説書だって、中世とルネ サンス期における自然科学思想の熟成の重要性を解説していない本など私は見たことが ありません。  私は40年間くらい大学で文系学生向けの微分積分のお話を毎年のように担当してき ましたが、そのときにガリレオの落体の実験とかの話から始めることが多いのですが、 その前座として、中世のスコラ哲学が物質の運動の本質について、長年の論争や討議を 通じてガリレオやニュートンの力学思想を準備してきたことを、科学史の入門書から仕 入れた知識で解説してきました。  手で石を投げる。手は勢いよく石に速度を与えるので、石は早いスピードで飛び始め ますが、いったん、手から離れてしまえば、その後は、石には何の力も働いていないよ うに見えます。それにもかかわらず、石はその後もしばらくの間、空中を飛び続けるの はなぜか、という疑問について、中世スコラ哲学者の間で盛んに論争が行われたことは、 どんな本にも書いてあります。そして、中世初期には、「それは神の見えざる手が、石 に力を与え続けているからだ」というような神秘主義的な理由付けが主張されていまし たが、スコラ哲学も次第に論理的、科学的な説明を求めるようになり、「手を離す瞬間 に手は石に”勢い”を与え、石はその勢いを利用してしばらくの間は飛び続けることが 出来るが、次第にその勢いを消費して、やがては勢いが尽きて地上に落ちてしまうのだ」 というような、今日で言えば「運動量」や「運動エネルギー」につながってゆく概念が 芽生えてきます。そういう意味では、中世は俗に言われるような「文化の暗黒時代」と いったイメージではなく、それなりに科学的な思想が生成・発展しててゆく時期だった、 という見方がもう数十年まえから「常識」となっています。また、数学史の本を見ても、 中世には代数的な記法が考案され(Viet)、ルネサンス期には、3次方程式の解法、4次、 5次方程式の解法の激しい発見競争が争われ、フェルラリが発見した解法を弟子のカル ダノが盗んで自分の発見の様に宣伝したので、今日「カルダノの解法」と言われている 解き方は本当は「フェルラリの解法」と言うべきものだ、とか、数々のエピソードが知 られています。  さらに、近代的な化学は魔術的な錬金術から誕生した事や、微積分と天文学に画期的 な発見をしたケプラーやニュ−トンの著作の中には、まだ中世の魔術や宗教的信仰と近 代科学的精神の混在が見られる事は「常識」ではないでしょうか? 「評論家の山形浩生さん」とやら。高校生が予備校で「ガリレオ、コペルニクスの時代 になって、ものの見方がガラリと変わった−−。そういう歴史の見方はナンセンス。」 という講義を聴いて感激するのは微笑ましい光景だけれど、社会に出て「評論家」を自 称するようになっても高校生のレベルのまんまというのは不勉強が過ぎますよ。せめて 「○○○」ブックスとか「×××学術文庫」のような大衆向け新書版の類(たぐい)で いいから科学史の解説書を2,3冊読んでからものを書いてください。  こういうデタラメな評論や解説が、数百万人の読者を持つ大新聞の紙面に堂々と掲載 されている事があるものですから、「情報科教育法」の「クリティカル・シンキング」 の教材には事欠きません。さっそく私は「情報科教育法」の授業で、この新聞のコピー を全員に配布して良く読ませてから、「はい、宿題です。来週までに図書館に行って3 冊以上の『科学史』関係の本を見て次のことを調べてください。 1. 古代ギリシャについて解説の開始ページ 2. 「近代」についての解説の終了ページ 3. 「中世」についての解説の開始ページ 4. 「ルネッサンス」についての解説の終了ページ 5. (B/A)×100(パーセント)        ただし、A:1と2の差 、B:3と4の差」 という課題を出しました。「もしも、この新聞記事の中で『社会学者の大澤真幸さん』 という人が言っているような、自然科学史で古代ギリシャ・ローマから始めて、その後、 中世とルネサンスの1千年間をほとんどすっ飛ばして、いきなり近代を論ずるような科 学史の本があれば、宿題の最後の数値はゼロ・パーセント、あるいは多くても3〜4パ ーセントという事になるはずですが、果たして日本の多くの『科学史』の本ではこの比 率がどうなっているかを自分自身で検証してください。」とテーマ設定の理由を解説し ておきました。  さて、次の週に、学生達が提出したレポートの結果を見てみましょう。 Aさん: (1)「科学の歴史」大沼正則著 青木書店    (50〜72) / (15〜206) = 11.5% (2)「科学史の展開」柴藤貞明編著 北樹出版    (21〜74) / (21〜236) = 24.6% (3)「自然科学の歴史」柴藤貞明編著 弘学出版    (13〜56) / (13〜108) = 45.2% Bくん: (1)科学の歴史(島尾永康編著) (75〜97) / (3〜299) = 7.4% (2)科学史(佐々木力編) (50〜107) / (13〜271) = 22% (3)科学の歴史(溝口元著) (32〜43) / (1〜158) = 7.0% Cくん: (1)「科学史」(佐々木力 編) (50〜92) / (13〜271) = 16.28% (2)「西欧科学史の位相」(伊藤俊太郎・村上陽一郎) (159〜266) / (7〜347) = 31.29% (3)「歴史における科学」J.D.バナール (著), 鎮目 恭夫 (翻訳) (179〜233) / (94〜413) = 16.93% Dくん: (1)レスター「化学と人間の歴史」(1981年 初版)     大沼正則 監訳  肱岡義人・内田正夫 訳 (67〜97) / (18〜224) = 14.6% (2)(科学史ライブラリー)化学の歴史U(2006年 初版)     W.H.ブロック 著  大野誠・梅田淳・菊池好行 訳 (無し) / (0〜510) = 0% (3)「元素発見の歴史1」(1988年 初版)     ウィークス/レスター 著  大沼正則 監訳 (75〜135) / (2〜345) = 17.5% Eくん: (1)1冊目 (50〜185) / (15〜200) = 9.73% (2)2冊目 (54〜134) / (12〜499) = 15.4 (3)3冊目 (50〜92) / (13〜272) = 16.2 等々という結果になっていました。ほーら、やっぱり、「自然科学史といえば大抵、古 代ギリシャ・ローマから始めて、その後、中世とルネサンスの1千年間をほとんどすっ 飛ばして、いきなり近代を論ずる」なんて、全く嘘ですよ。ただし、Dくんが挙げた 「化学の歴史U」は、第1巻が借り出されていたので2巻だけ調べたそうなので、ゼロ になりましたが、第1巻を見れば、当然、かなりのページ数が「中世とルネサンスの1 千年間」に当てられていたはずです。  なお、引用を省略しましたが、これ以外の学生達のレポートの数字もほぼ同様の結果 を示しています。  ここで、かなり気になるのが、引用を省略した全員とEくんのレポートが、署名、著 者名、出版社名を書かずに、「1冊目」「2冊目」「3冊目」と書いている事です。一 般に、学生のレポートにはこのように、「とにかく書きましたよ」という感じのものが 多く、「これを見る人はこのデータから何を読みとるだろうか?」という、読む人の立 場(気持ち)に立った配慮が完全に欠落しているとしか思えない書き方のものが多いの です。  いや、そういう点では、大新聞の記事でも同様の感じを受ける事が結構あって驚かさ れます。もう20年近く前になるかと思いますが、毎日新聞の「科学・文化」欄に「コ ペルニクスは地動説を発表したために宗教裁判にかけられた」という記事が載っていて ビックリしました。宗教裁判にかけられて、「それでも地球は動く」とつぶやいたとい う有名なエピソードが伝えられているのはガリレオ・ガリレイですが、この程度の事は おそらく小学生でも知っている子が多いと思います。コペルニクスは非常に慎重な人だ ったようで、地動説に関する自分の著書を出版社に渡した際に、「この本は私が死んだ ら出版してくれ」と頼んでおいたので、彼の著書が出た時にローマ教会がコペルニクス を宗教裁判にかけようと思ったが本人は既に死んでいた、と言われています。余談です が、私はコペルニクスが若き日に天文学を学んだという教室が今でも残っているポーラ ンドのヤギエルスキー大学に2年間滞在していた事があります。  さて、私はすぐに毎日新聞編集部に電話を掛けて、上記の記事の誤りを指摘しておき ました。「検討するように担当者に伝えます」という返事でしたが、翌日の朝刊の、た しか2面の隅に、「昨日の学芸欄の記事の中の『コペルニクス』は『ガリレオ』に訂正 します。」という訂正記事が載りました。読者からの指摘を無視せずに、訂正記事を載 せた姿勢はほめてあげても良いかも知れません。しかし、毎日新聞の数百万人の読者の 中で、この1行記事の意味を理解した人が果たして私以外に1人でもいたでしょうか?  「昨日の学芸欄の記事の中の『コペルニクス』とはどんな記事だったっけ」と、既にし まい込んである前日の朝刊を取りだして、「ああ、宗教裁判のことか」と確認する人が いるでしょうか? 文章というものは、主語と述語があって文法的な間違いがなければ それでよい、というものではありません。何よりも、読む人の立場に立って、読む人に 意味が伝わるように、必要最低限のデータを表示しなければ意味がありません。そんな ことも分からないようでは、小学生レベルの「国語リテラシー」すら欠けていると言わ ざるを得ません。上の例では、少なくとも、「昨日の学芸欄の記事の中の『コペルニク スは宗教裁判にかけられ』の部分は『ガリレオは宗教裁判にかけられ』に訂正します。」 くらいは書かないと、読む人には文脈がまったく理解できません。新聞記事というもの は、単に1人の担当記者が書くものではなく、必ずデスク(編集責任者)がチェックし ているはずです。しかも訂正記事となれば、そういうものを載せるか否かの判断まで含 めてかなり責任ある立場の人がチェックした結果であるはずですから、余計に、新聞社 の良識というものを疑わざるを得ません。本当に毎日新聞社の記者やデスクは小学生レ ベルの「国語リテラシー」も持っていないのでしょうか? それとも、上記のような1 行記事にしておけば、間違いを指摘してきた読者1人に対してだけは「ちゃんと訂正し ましたよ」というアリバイとなり、それ以外の読者にはどんな誤りがあったのかも悟ら れず、注意も引かず、見過ごされてしまうだろう、という打算が働いたのでしょうか?  そうだとすれば、ずいぶんせこい、というか、小賢しい猿知恵と言えましょう。人間誰 しも勘違いや間違いは付き物です。誤りを改めるに、憚(はばか)る無かれ。  先日、夕方のテレビでローカルニュースの番組を見ていたら、佐賀県のスーパーマー ケットで起きた万引き事件のことを報道していました。店長が「ドロボー、どろぼー」 と叫んで犯人を追いかけたところ、ちょうど道を通りかかった高校生が犯人にタックル して、追いついた店長と二人がかりで犯人を取り押さえて警察に尽きだしたのですが、 調べてみたら、なんと犯人は現職の巡査部長だったというのです。テレビ局から感想を 求められたお手柄高校生が答えて曰く、「世も末ですね。」  いやいや、そんなことは無いよ、高校生君。日本にはまだ、君たちのような、勇敢で 正義感に満ちた若者が大勢いるのだから、大丈夫だよ。期待しているぞ、九州の、そし て日本の高校生諸君!!
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